(令和3年)なにわ七幸めぐりを行く!初辰詣りの住吉大社から四天王寺へ(その2)
初辰の日だったので住吉大社で初辰詣りをしてから、四天王寺で「なにわ七幸めぐり」の御朱印を貰うつもりです。
初辰まいりが楽しかったのですが、ゆっくりし過ぎてしまいました。
四天王寺に急がなくてはいけません😅
〜 前回 〜
なにわ七幸めぐり
ここ数年、僕の中で恒例となった『なにわ七幸めぐり』です。
大阪の有名な神社仏閣を巡って、ご利益をあやかろうと始めたのですが、年始から巡るのが習慣になりました。
巡るのは、
・今宮戎神社 (商売繁盛)
・四天王寺 (家内安全)
・大念仏寺 (諸芸上達)
・太融寺 (無病息災)
・大阪天満宮 (学業成就)
・四條畷神社 (心願成就)
の七つです。
これだけ立派な神社仏閣が並んだら、廻りたくなるでしょう!
良い事があるに違いないはず。
専用の色紙またはバインダーを購入して、御朱印を集めます。
7つの神社仏閣のどこから始めても良いのですが、今回は住吉大社から始めました。
阪堺電車でGo!
これから四天王寺に行くのですが、納経所は4時に閉まります。
実は3時20分。
ヤバイです😅
住吉大社の前に、路面電車が走っていて、大阪の天王寺と堺を結んでいます。
何度か経営難になりながらも、ずっと続いている貴重な路面電車です。
あまり乗らないのですが、これから四天王寺まで行くので、路面電車を楽しみました。
遠足気分で乗る前にジュースを買って乗り込みました。
乗客は少なくて座る事が出来て楽チン楽チン。
途中で小学生の子供たちが大勢入って来ましたが、皆さんお利口さんで静かにしています。
立派です。
見習って僕もお利口さんになろうと思います。
天王寺に着きました。
これが僕が乗っていた路面電車です。
路面電車は風情があって、なかなかた楽しいものですね。
もう3時40分。
天王寺の駅から四天王寺まで歩いて15分くらいです。
ヤバイです😅
歩く余裕はないので、走ります〜。
四天王寺
四天王寺の石鳥居に着きました。
鳥居と言うと神社ですが、四天王寺の西には何故か鳥居があります。
不思議に思うのですが、インドでは古来から聖地結界の四門として鳥居が立てられるそうです。
ゆっくりとしたいのですが、急ぎます。
走れ〜
到着です。
現在15時50分。
「御朱印を頂きたいのですが・・・」
と尋ねると、納経は3時50分までとの事。
ギリギリ間に合いました。
良かったです。
御朱印を手に入れて、とてもご機嫌です。
これから境内をまわります。
極楽門
石鳥居をくぐると立派な赤い西大門があります。
極楽門と呼ばれていて、あの松下幸之助さんが寄贈しました。
やはり畏れ多い人です。
中央伽藍と五重塔
中心部にある中央伽藍。
その中にあるのが五重塔です。
五重塔は、聖徳太子が創建された時、仏舎利とご自分の髪を納められたそうです。
六時礼賛堂と石舞台
手前にある石舞台と大きなお堂の六時礼讃堂。
石舞台は住吉大社の石舞台、厳島神社の板舞台と共に日本三舞台と呼ばれています。
六時礼讃堂は昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから名付けられました。
亀井堂
亀井堂の真ん中に、大きな亀の形の石から水が出ていて貯められています。
亀井堂の霊水は金堂の地下より湧き出る『白石玉出の水』で、六時堂・金堂・北鐘堂にて 回向(供養)を済ませた経木を流すと、極楽往生が叶うと信じられています。
亀井不動尊
近畿36不動尊の第一番霊場に選ばれていて、本尊は水かけ不動尊です。左に子育地蔵尊、右に延命地蔵尊が祀られています。
不動明王さまは水をいっぱい掛けられて、たくさんの苔が付いています。
(2、3年前に水かけ不動尊の苔が剥ぎ取られていて、僧侶の方が、あまり良い気がしないと言っていました。)
聖徳太子が尊いお声に呼び止められ、亀井の井戸を覗かれると、仏法の守護神である不動明王の姿が水面に映っていたため、ここに不動尊を祀られたそうです。
中門(仁王門)と仁王像
中門は中央伽藍の南にあり、南大門の北側にある門です。仁王像に守られているので仁王門とも言います。
ここの仁王像は珍しい青色と赤色です。
色が映えてとても美しいです。
特に夜はライトアップされるので見ることをお勧めします。
楽しかったです。
これで満足なので、帰ります。
由緒
○ 今から千四百有余年前の推古元年(593)10月、推古天皇の摂政皇太子であった聖徳太子は、日本仏法最初の大寺である四天王寺を創建され、外交・内政両面の拠点とされました。外交では、それまでの隋国への朝貢外交を改め、推古十五年(607)に国書を送り対等外交を確立し、日本国の尊厳を見事に示されました。
○ 内政では「冠位十二階」を制定し優れた人材を登用して平等社会を実現されました。また「十七條憲法」を作成して、日本で初めて国家の法制を整えると共に人としてのあり方を示され、「三経義疏」を著しては、国民の持つべき理念を教示し、かくて日本の将来の進むべき方向を見事に確立されました。
○ 『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
御朱印
アクセス
電車
- JR天王寺駅から徒歩12 分
- 南海電鉄今宮戎駅から徒歩20分
所在地・連絡先
安居天満宮
四天王寺から西の方に歩いて行くと、つまり今宮戎神社の方へ歩いて行くと、右手に真田幸村ゆかりの安居天満宮があります。
名前の通りに菅原道真さまを祀っています。
看板に「真田幸村戦死の地」と書いてある通り、真田幸村ファンの聖地として有名なのです。
大坂夏の陣で真田幸村が戦死したのが境内の中と言われています。
境内には、真田幸村が兜を脱いで、刀を置いて休んでいる姿を表した坐像があります。
残念ながら既に閉まっていましたが、夕日が当たり綺麗でした。
由緒
○ 創建年は不詳ですが、聖徳太子が四天王寺を建てた593年の頃であろうと伝えられています。少彦名神が祀られていて、のちに菅原道真を祀るようになりました。
○ 菅原道真が901年太宰府に左遷されたとき、四天王寺を参拝し、この社で安居(休憩)しました。この事から安居神社となったと言われています。また四天王寺の僧侶が修行する場を「安居」と言う事に由来すると言う説もあります。
○ 1615年、大坂夏の陣で真田幸村は天王寺茶臼山に着陣し、徳川軍と対峙しました。しかし、敵の本陣に迫る活躍を見せるものも、大軍の前に力尽きて、安居神社まで引き上げて来ました。そして、境内で負傷した体を休めていた所、松平忠直の家臣によって討たれたとされます。
境内には、戦い終えた幸村が兜を脱ぎ、刀を置いて休んでいる姿を形取った坐像があります。その奥には幸村が休んだとされる一本松の二代目にあたる「さなだの松」もあります。
アクセス
電車
- JR「天王寺駅」から徒歩10分
- 南海電鉄「今宮戎駅」から徒歩12分
自動車
阪神高速道路 「夕日丘IC」から4分
安居神社の所在地・連絡先
所在地 | 〒543-0062 大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3−24 |
電話番号 | 06-67714932 |
海泉寺の言葉
今宮戎神社の近くに海泉寺と言う寺があり、その入り口に有難い言葉が書かれているので、いつもそばを通るときに見るのです。
そこにはこう書かれていました。
誰にでもあるんだよ
人に言えぬ苦しみが
苦しい時は なんで自分だけ苦しいのだろう、と思います。
でも、みんな苦しみを抱えて生きているのですね。
自分は一人きりではないのです。
きっと仏さまがそばについているのです。
そんな風に考えたら、暖かい気持ちになれました。
仏さま、ありがとうございます🙇♀️
お疲れ様〜
今宮戎駅に着きました。
住吉大社から始まった旅も終わりです。
楽しくてゆっくりと廻ってしまいました。
皆さん、今日はお疲れ様でした。
おやすみなさい。
合わせて読みたい
基本情報
前回までのレポート
住吉大社で「なにわ七幸めぐり」のバインダーと御朱印を頂きました
昨年のレポート
昨年は住吉大社から始めて、5日掛けてゆっくりと巡りました
コメント