枚岡神社(大阪府東大阪市)の基本情報
枚岡神社の基本情報(御祭神、御利益、霊場、由緒、境内、御朱印、
御祭神
- 第1殿 天児屋根命
天照大御神の岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱えた。天孫降臨の際には邇邇芸命に伴い、中臣連の祖となった。出世の神としても信仰されている。 - 第2殿 比売御神
神道の女神。天児屋命の妻の天美津玉照比売命。良妻賢母、女性の鑑と仰がれています。 - 第3殿 経津主命
荒らぶる神々をぷっつり断ち切る刀剣の神と言う意味。出雲国譲りの時、葦原中国に武御賀豆智命と共に派遣され国譲りを成功させた。武道・建国の神とされる。 - 第4殿 武甕槌命
神生みのとき伊弉諾尊が火之夜芸速男神を切った血から生まれた三神の一柱。出雲国譲りの時、葦原中国にに派遣され、十掬の剣の上にあぐらをかいて現れ建御名方神と力比べで勝ち国譲りを成功した。神武東征では、武甕槌命の剣が神武天皇を助けた。
御利益
金運、仕事運、病気平癒、子授け、安産、交通安全、学業成就など総合運上昇
枚岡神社の霊場
- 神仏霊場巡拝の道 第60番(大阪19番)
- 全国一の宮巡拝の道(河内国)
枚岡神社の由緒
枚岡神社の創祀は、皇紀前まで遡り、初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前です。
神武御東征の時、神武天皇の勅命を奉じて、天種子命(あめのたねこのみこと)が国土平定を祈願するため、天児屋根命・比売御神の二神を、神津嶽(かみつだけ)に磐座を設け、祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。
※皇紀とは日本独自の暦で、西暦はキリスト誕生を元始とするが、日本の皇紀は、初代天皇西暦よりも660年前に皇紀がはじまったとされます。
神武東征
神武天皇(神倭伊波禮毘古命:かむやまといはれびこのみこと)は、日本の国を治めるため、九州の日向高千穂から東に向かわれ、地方を治めながら日本の最中大和の国、畝傍山の橿原の地でご即位されました。これを神武東征といいます。
神武天皇は、浪速に上陸され、生駒の山を越えて大和の国へ進もうとされたが、生駒の豪族であったナガスネヒコの大軍がこれを阻止しようと戦がおこってしまいます。思うように進むことができないばかりか、兄である五瀬命(いつせのみこと)が流れ矢によって負傷してしまうなど、かなりの痛手を負いました。
ここで神武天皇は、神のお告げによって「天照大御神の子孫でありながら、日に向かって敵を討つことは神の道に逆らうものである」と悟られ、天神地祇を祀った後、皇軍を還して和歌山紀州路から吉野を通り、日を背にむけて大和へ進むことを決意されます。
神津嶽 と枚岡神社
この時に、天児屋根命・比売御神の二柱の神を霊地神津嶽にお祀りし、国土の平定を祈願され、その後、熊野を経て大和橿原の地に即位されます。
秋郷祭 〜 大阪最大規模の秋祭り
毎年、10月14日〜15日に、東大阪市では秋郷祭と呼ばれる秋祭りが行われ、大・中・小の布団太鼓が練り歩き、枚岡神社に宮入りします。
見所はやはり、枚岡神社での宮入りで、坂になった参道を重い布団太鼓を担いだ男たちが登ります。あまりもの重さに真っ直ぐに歩けず、布団太鼓は右に左に揺れるのです。
夜になると布団太鼓に明かりが灯り、真っ暗な参道を進むのは見ものです。
注連縄掛神事 〜 お笑い神事
天照大御神が天岩戸に隠れた時、主祭神の天児屋根命が祝詞を奏上し、アメノウズメノミコトが踊ります。踊りを見た神々の笑い声が気になって天照大御神が出て来たのを、もう戻らないようにしめ縄を張った事に因んだ神事です。
宮司が祝詞を奏上すると、宮司の「アッハッハー」と言う笑い声に続いて、参拝者も同じように笑います。ただ笑うのではなくて、なんと、20分間も笑い続けるのです。
楽しい神事で、今年も笑って終わったと言う気持ちになります。
境内の様子
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枚岡神社の御朱印
(順に、通常、全国一の宮巡拝の道、神仏霊場巡拝の道)
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枚岡神社の拝観時間
枚岡神社の拝観料
無料
枚岡神社への行き方(アクセス・地図)
電車
- 近鉄「枚岡駅」から徒歩3分
自動車
- 阪神高速道路「水走出口」から10分
枚岡神社の駐車場
枚岡神社の所在地・連絡先
所在地 | 〒579-8033 大阪府東大阪市出雲井町7−16 |
電話番号 | 072-981-4177 |
公式サイト
https://www.facebook.com/枚岡神社-640542336080597
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