河内西国を行く!玄清寺・額田寺・千手寺と石切神社、そして夜の奈良へ(その1)

額田戎神社 エビス像 ○参拝レポート
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河内西国を行く!玄清寺・額田寺・千手寺と石切神社、そして夜の奈良へ(その1)

河内西国 玄清寺 観音菩薩 聖徳太子像 地蔵菩薩

河内西国霊場の玄清寺額田寺千手寺を参拝。
一駅離れているのですが、歩いて参拝できる距離です。

この地域には、「日本で三番目 石切大仏」があるのです。
必見です。

石切神社を参拝した後、思い切って夜の奈良へ向かいました。

ライトアップされた猿渡池・五重塔・一の鳥居・浮見堂・南大門
神秘的な美しさに感動しました

今回は(その1)で、玄清寺額田寺額田戎神社です。

近鉄に乗って

近鉄電車 額田駅

大阪難波駅から近鉄電車に乗って、30分もすると「額田駅」に到着です。

こんな感じの予定です。

近鉄電車 額田駅

大阪難波駅は地下なのですが、上本町駅からはずっと高架なので景色がいいです。

河内西国 玄清寺 額田寺 参詣道

ちょうど難波と奈良の中間にあり、通勤にも便利なので住宅地が多いですね。
かなり便利で住みやすい土地だと思います。

玄清寺

山門

河内西国 玄清寺 山門

玄清寺山門です。

駅から5分も歩けば到着です。道も分かり易くて迷わずに来れました。

河内西国 玄清寺

境内に入ると、賑やかな小さな子供の声が聞こえてきました。
この玄清寺は保育園を運営されているそうです。

歌が聞こえます。
ちゃんと声を揃えて歌っていました。
偉いです。

僕は歌は下手なので、
この時点で僕は負けています。

仏さまに守られて立派に育つのでしょうね。
将来が楽しみです。

法語

玄清寺 法語

山門に法語が書かれていました。

今日あるは
先祖のおかげ
盆供養

先祖様のおかげで今生きている、と言う事を忘れがちになります。
感謝しなければいけません。
大変勉強になります。

盆供養・・・
お盆に墓参りをしていませんでした。
阿弥陀様にバレていたのかも知れません。
すぐに行ってきます。

観音堂

河内西国 玄清寺 観音堂

観音堂なのですが、見ての通り閉まっていました。

どうしようかと思ったのですが、寺の方(多分住職の奥さん?)に観音堂を開けて欲しいとお願いした所、快く扉を開けて観音さまを見せて下さいました。

幾つか質問をさせて貰ったのですが、丁寧に答えて下さいました。
親切な方です。

河内西国 玄清寺 観音菩薩 聖徳太子像 地蔵菩薩

左から、聖徳太子二歳像観世音菩薩地蔵菩薩です。

河内西国 玄清寺 観世音菩薩

観音さまは聖観世音菩薩で、上手く言えませんが、小柄ながら独特の雰囲気があります。

河内西国 玄清寺 聖徳太子二歳像

聖徳太子二歳像は室町時代作の大変珍しい像で、東大阪市の重要文化財に指定されています。
仏像の前に、可愛い人形が置かれています。
お洒落ですね。

河内西国 玄清寺 地蔵菩薩

地蔵菩薩なのですが、お顔が見えませんでした。

本堂

河内西国 玄清寺 本堂 

本堂に案内して頂いて、御本尊を見せて頂きました。

玄清寺は、織田信長の戦で死んだ人を弔ったのが始まりだそうです。

河内西国 玄清寺 阿弥陀如来

御本尊は、阿弥陀如来さまで、両脇に法然さまと善導大師さまが祀られています。

法然は浄土教の祖・善導大師(六一三~六八一)の教えに出会い、浄土宗を興しました。

河内西国 玄清寺 阿弥陀如来

阿弥陀如来さまです。
四十八願の誓いを立て、南無阿弥陀仏」と唱える人々を必ず極楽浄土に導きます

子供の頃から人の不幸や虫や獣の死骸に出会うと、「南無阿弥陀仏」と唱える習慣があります。
「南無阿弥陀仏」と唱えると、不思議な事に心も体も楽になるような気がします。

河内西国 玄清寺 法然像

法然さまです。
浄土宗の開祖で、

河内西国 玄清寺 善導大師像

善導大師さまです。

善導大師は中国唐代初期に活躍した中国浄土教の僧で、「南無阿弥陀仏」と唱える称名念仏しょうみょうねんぶつを中心とする浄土思想を確立しました。

河内西国 玄清寺 涅槃図

本堂に飾られていた、涅槃図です。
とても美しい温かみのある絵です。お釈迦さまを沢山の人・動物が暖かく見守っていたのが伝わってきます。

姪さんが糸を染めて織られたとおっしゃっていました。

河内西国 玄清寺 額

こちらも本堂に掛けられていた額です。
美しい天女が宙を舞っています。浄土には、このような天女がいるのでしょうね。

妹さんが作られたとおっしゃっていました。

河内西国 玄清寺 法語

本堂にも法語がありました。

待つ長さ
過ぎ去る速さ
生きる今

人を待つのはとてつも無く長く感じます。
時間が過ぎ去るのは、あっと言う間。
過去よりも生きる今が大切です。
多分、時間を大切にしなさいって事でしょうか。

お聞きしますと、「今が大切です、と言う意味だと思います」と簡単に教えて頂きました。
今を懸命に生きたいと思います。

玄清寺の由緒

1597年(慶長2年)額田村の高内正貞が、織田信長に従って坂石山本願寺との戦いに参加し、その戦没者を弔うために寺を建立し、菩提寺としました。

延宝年間(1673~80年)に教誉上人が中興されました。

玄清寺の本尊

阿弥陀如来

玄清寺の御朱印

河内西国 玄清寺 御朱印

玄清寺の拝観時間

9時から17時

玄清寺の入山料

無料

玄清寺への行き方(アクセス・地図)

近鉄「額田駅」から徒歩5分

玄清寺の駐車場

無し

玄清寺の所在地・連絡先

所在地 大阪府東大阪市東山町十一ー十七
電話番号 072(981)2854
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額田寺

河内西国 額田寺 山門

玄清寺から歩いて直ぐの所に額田寺があります。
山門が近代的です。

暫くすると、お寺の方がいらっしました。多分、住職の奥さんだと思います。
御朱印をお願いして頂きました。

河内西国 額田寺 本堂

本堂も近代的な雰囲気です。

額田寺は、弘法大師さまが高野山に詣る道中の宿所として寺が建てられましたのが始まりです。
ですから、建立は800年代初めごろと言う事になるでしょうか。
かなり歴史ある寺です。

河内西国 額田寺 本堂

本堂に入る事が出来なかったので、外からなら良いと言う事で、ガラス越しに撮りました。
本尊の薬師如来さまです。不動明王さまと地蔵菩薩さまが見えます。

金色に輝く美しい薬師如来です。
こうして外からでも、仏さまのお力を頂けるように思えました。

河内西国 額田寺 地蔵堂

境内に地蔵堂があります。
石造りの地蔵菩薩さまが祀られていて、片足を立てた半跏思惟の姿をする珍しい地蔵菩薩です。

額田寺の由緒

弘法大師が京都から高野山に詣る途中の宿所として、高内皆人が額田寺を建立されました。人々は皆大師に帰依し、弘法大師は自ら薬師如来を刻し本尊とされました。

明治六年に慈雲尊者ゆかりの長尾山不動寺が廃寺となり、弘法大師作の本尊不動明王も額田寺に移されました。

しかし残念な事に、昭和十四年の火災で本堂と共に薬師如来・不動明王など貴重な仏像が罹災焼失してしまいました。

額田寺の本尊

薬師如来

額田寺の御朱印

河内西国 額田寺 御朱印

額田寺の拝観時間

9時から17時

額田寺の入山料

無料

額田寺への行き方(アクセス・地図)

近鉄「額田駅」から徒歩7分

額田寺の駐車場

無し

額田寺の所在地・連絡先

所在地 大阪府東大阪市南荘町十四ー二十
電話番号 072(987)5245
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額田戎神社

額田戎神社

額田寺から千手寺に向かう途中に、偶然に額田戎神社がありました。

十日戎の日以外は通常は神職はいないそうです。
残念ながら御朱印は頂けませんでした。

境内

額田戎神社 境内

境内はこの通り綺麗です。
新しい石を使っているのでしょうか。

一の鳥居

額田戎神社 鳥居 参道

一の鳥居から本殿を見ると、真っ直ぐに参道が続いています。

本殿

額田戎神社 本堂

本殿と狛犬

額田戎神社 本堂

本殿は新しいように見えますね。

狛犬が見えますが、足に紐が結び付けられています。これは「足止めの犬」として、願い事を書いた白い紐をしっかりと結び付けると願いが叶うと信じられています。

エビス像

額田戎神社 エビス像

神社の入り口からもはっきり見えるエビス像
「まかしといてやー」って感じの笑顔
頼もしい感じがします。

額田戎神社の由緒

額田の民が毎夜霊成に悩まされて、西宮のエビス神を勧請したのが始まりです。
明治5年に枚岡神社に合祀されましたが、後に復社し、額田戎神社として祀られています。

額田戎神社の御祭神

事代主命

額田戎神社の御朱印

通常は頂けません。
もしかしたら十日戎の日に頂けるかも知れません。

額田戎神社の拝観時間

24時間

額田戎神社の拝観料

無料

額田戎神社への行き方(アクセス・地図)

近鉄奈良線額田駅から徒歩7分/近鉄けいはんな線新石切駅から徒歩10分

額田戎神社の駐車場

十日戎の際は臨時駐車場あり

額田戎神社の所在地・連絡先

所在地 大阪府東大阪市東山町10-31
電話番号

(その2)に続きます

一駅離れていますが、千手寺に向かいます。
歩いて20分弱くらいですので近いものです。

有名な石切神社も参拝出来れば嬉しいです。

レッツゴー!

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