鬪雞神社(和歌山県田辺市)

神仏霊場巡拝の道 闘鶏神社 御朱印○基本情報
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鬪雞神社(和歌山県田辺市)の基本情報

闘鶏神社 本殿 田辺観光公式ホームページ

闘鶏神社 本殿

引用元:田辺観光公式ホームページ

鬪雞神社とうけいじんじゃの基本情報(御祭神、御利益、霊場、由緒、境内、御朱印、アクセス)です。

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鬪雞神社の御祭神

(主祭神)伊邪那美命いざなみのみこと

(配祀神)事解之男命 速玉之男命  天照皇大神 伊邪那岐命  宇賀御魂命 天乃忍穂耳命  邇々杵命 火々出見命  鵜草葺不合命 火産霊命  埴山比売命 弥都波能売命  稚産霊命 手力男命  八百萬神

鬪雞神社の御利益

 

鬪雞神社の霊場

神仏霊場巡拝の道 第5番(和歌山第5番)

鬪雞神社の由緒

○ 古墳時代の允恭天皇いんぎょうてんのう8年(419年)に、熊野権現を勧請し、田辺の宮と称したの起源と伝わります。

○ 平安時代、白河天皇の時代(1073~1087)に熊野三所権現を勧請し、熊野参詣の折には鬪雞神社とうけいじんじゃに参拝して心願成就を祈願したと言います。

○ 平安時代末期の1147年、第18代の熊野別当、湛快たんかい熊野三所権現を勧請し、新熊野十二所権現と称しました。

○ 闘鶏神社は、三度に渡って熊野三山(本宮・新宮・那智)各社の御祭神を勧請し、熊野権現の三山参詣に替えると言う三山の別宮的な存在でした。当社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいたと言います。

○ 鬪雞神社の名は平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来します。
熊野水軍を率いる湛快の子で、熊野別当である湛増たんぞうは、源氏と平氏とどちらに着くか思い悩み、熊野権現の神意を尋ねました。それは、「白旗=源氏につくべし」と言う神託であったのですが、それでも悩みました。そこで神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせて、占う事にしました。結果はことごとく白(源氏)の鶏が勝利したのです。そこでようやく、湛増は源氏につくことを決め、熊野水軍の加勢させました。それにより源氏の勝利に結びついたと言われます。

この故事により、闘鶏権現の称が生まれ、明治時代に入り今の闘鶏神社の名前になりました。
湛増は武蔵坊弁慶むさしのぼうべんけいの父であると伝えられます。

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境内の様子

 

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鬪雞神社の御朱印

神仏霊場巡拝の道 闘鶏神社 御朱印

(神仏霊場巡拝の道)

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鬪雞神社の拝観時間

8:30~17:00

鬪雞神社の拝観料

無料

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鬪雞神社への行き方(アクセス・地図)

電車

  1. JR「紀伊田辺駅」から徒歩5分

自動車

  1. 阪和自動車道「南紀田辺IC」から10分

鬪雞神社の駐車場

有料あり(約100台 60分100円)

鬪雞神社の所在地・連絡先

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参拝レポート

公式サイト

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