根本山 神峯山寺(大阪府高槻市)の基本情報
神峯山寺の基本情報(本尊、宗派、開基、霊場、縁起、境内、御朱印、
神峯山寺は、日本で最初に毘沙門天が出現した道場で、修験道の祖である役行者が開きました。紅葉の名所として知られます。
神峯山寺の本尊
毘沙門天(3種の毘沙門天)
- 内 陣 毘沙門天
- 中内陣 双身毘沙門天
- 内内陣 兜跋毘沙門天
四天王の一人北方を守る多聞天の事。その名の通り仏の教えを数多く聞いて精通し、仏教を守護する仏です。七福神の一人として信仰されています。
神峯山寺の宗派
天台宗
神峯山寺の開基
役小角(役行者)
飛鳥時代の呪術者で、幼い頃から葛城山中などで山岳修行を行い、吉野で蔵王権現を感得した。修験道の祖と言われる。光格天皇から神変大菩薩の諡を頂いた。
神峯山寺の御利益
神峯山寺の霊場
- 新西国三十三箇所 第14番
- 役行者霊蹟札所
- 神仏霊場巡拝の道 第64番
神峯山寺の縁起と見所
役行者の4体の毘沙門天像
○ 修験道の祖である役行者が葛城山中で修行していた時、神峯山寺の九頭龍滝の水しぶきが光るのを見て、この地にやって来ました。滝から現れた天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童に教えられた霊木で4体の等身大の毘沙門天像を刻みました。
すると、4体の像は光を放ち、一つは奈良の信貴山に、一つは京都の鞍馬に、一つは神峯山寺の奥の院に飛び去ります。最初に刻まれた像がこの地に安置されました。
そして開山以後、近畿の修験霊場として名高い比叡山、比良山、伊吹山、愛宕山、金峰山、葛城山に並ぶ「七高山」の一角として大いに栄えました。
中興の祖 開成皇子
○ 奈良時代の774年に、光仁天皇は、皇子の開成皇子に中興する事を命じました。皇子は伽藍を建立し住職となります。その縁で、神峯山寺は光仁天皇の勅願寺となり、皇室と深く結びつきます。
現在でも境内には、天皇直系の所縁であることを表す「十六八重菊」が刻印された建造物が点在しています。
開成皇子は桓武天皇の兄で、勝尾寺を開山した人物です。
武将や商人の信仰
毘沙門天は「戦いの神」として知られ、南北朝時代に楠木正成が、室町時代には足利義満が、戦国時代には松永久秀が厚く信仰しました。
また、毘沙門天は七福神の一人として知られます。江戸時代に入り太平の世が訪れると、「商売繁盛の神」として多くの商人から信仰されました。
三体の毘沙門天
神峯山寺の本尊は三体の毘沙門天です。よく仏像は横に並べて祀られるのですが、縦に並べて祀られています。
- 内 陣 毘沙門天
毘沙門天を中尊とし、妻の吉祥天と息子の善膩師童子を脇侍とする。在家の神さまとして信仰され、家庭円満、子宝子授、病気平癒のご利益があります。 - 中内陣 双身毘沙門天
僧侶が自身の修行のため、ご本尊として祈る仏様。非常に霊験強く修行僧のみ拝む事が出来ます。 - 内内陣 兜跋毘沙門天
国を護る神として、また福徳先勝の神として武将より手厚く信仰されてきました。兜跋とはチベットの意で、つまりチベットの毘沙門天という意味です。
毘沙門天
毘沙門天は四天王の一人、多聞天の事です。その名の通り、仏の教えを数多く聞いて精通し、仏教を守護する仏です。
単独で祀られる場合は毘沙門天と言い、四天王の一人として祀られる場合は多聞天と言います。
日本では七福神の一人として信仰されて、馴染み深い仏様です。
紅葉の名所
紅葉の名所として知られ、秋には多くの観光客が訪れます。
境内の様子
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神峯山寺の御朱印
(順に、神仏霊場巡拝の道)
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神峯山寺の拝観時間
拝観時間 9:00~17:00
神峯山寺の入山料
○ 入山料 無料
神峯山寺への行き方(アクセス・地図)
電車
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- JR「高槻駅」からバス18分「神峰山口」下車、徒歩20分
- JR「高槻駅」からバス18分「神峰山口」下車、徒歩20分
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自動車
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- 名神高速道路「高槻IC」から8分、「神峯山寺駐車場」から徒歩6分
- 名神高速道路「高槻IC」から8分、「神峯山寺駐車場」から徒歩6分
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神峯山寺の駐車場
有料あり
60分 /300円 (3時間最大 500円 )
神峯山寺の所在地・連絡先
所在地 | 〒569-1051 大阪府高槻市原3301−1 |
電話番号 | 072-688-0788 |
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