西宮神社(兵庫県西宮市)の基本情報
西宮神社の基本情報(御祭神、御利益、霊場、由緒、境内、御朱印、
西宮神社の御祭神
えびす大神(蛭児大神)
伊弉諾命と伊弉冉命から生まれた最初の神さま。骨の無い不具の子に生まれた為に海に流されてしまうが、漁業の神、商売の神、福の神として祀られている。
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西宮神社の御利益
西宮神社の霊場
- 神仏霊場巡拝の道 67番(兵庫2番)
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西宮神社の由緒と見所
蛭児の神
- 神代の昔、伊弉諾尊と伊弉冉尊は矛をかき混ぜて出来た「オノゴロ島」に降り立ち、御殿を建てました。
- 伊弉冉尊が「私の体は、成り成りて成り合わない所が一ヶ所あります」と言うと、伊弉諾尊は「私の体には、成り成りて成り余った所が一ヶ所あります」と言い、それを合わせて子供を生もうと提案しました。
- 二人は神聖な柱をそれぞれ右と左から周り出会った所で声を掛け、交わりました。二人の間に生まれた子供は骨のない不具の子であったので、葦船に入れて流しました。
網にかかった蛭児の神
- 神戸の和田岬で鳴尾の漁師が漁をすると、御神像が網にかかりました。
- 漁師は自宅に持ち帰り、お供えをして祀ると、夢の中に御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」との御神託があったのです。
- 漁師たちは蛭児大神を輿にお乗せし、御神託の通り西の方、現在の西宮の地に祀りました。
廣田神社の摂社から独立
- 西宮神社は創建時期は不明なのですが、平安時代には「浜の南宮」または「南宮社」と呼ばれ、廣田神社の境外摂社でありました。
- 明治に入り、1872年に廣田神社が官幣大社となり、それに合わせて、西宮神社は分離独立します。
- 大東亜戦争中に空襲を受け、国宝の本殿などが焼失しましたが、1961年には本殿、拝殿が再建されました。
えびす様・大黒様の御神影札
- 戦国時代に後奈良天皇から、桃山時代には豊臣秀頼から、江戸時代には徳川家綱から寄進を受けて造営がされました。
- 江戸時代には、徳川幕府からえびす大神様(西宮神影)と大国主大神様(大国神影)の御神影札の版権を得て、独占的に全国に配布・販売します。
- その家々では御神影札が何重にも重ねて貼られ、厚く信仰されました。遠く信州の山奥にも伝わっています。
- 西宮神社では、その資料を見る事が出来るので、是非みてください。
- 現在でも全国で、透かしの入った特別な御神影札が配札されています。
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十日戎
- 毎年1月9日から11日の「十日戎」では、阪神間における最大の祭典として、百万人を越える参拝者で賑わいます。
- 九日の「宵えびす」では、深夜十二時にすべての神門が閉ざされ「居籠」に入ります。大祭を行う前に身を清め、静寂の時を過す時間を持つのです。
- 十日午前四時の「十日えびす大祭」が行われます。
- 大祭終了後の午前六時に、恒例の「開門神事福男選び」を行います。表大門(赤門)が開かれると参拝者が本殿へ走り参りを行い、先着3名が「福男」に選ばれます。
- そして境内は十日の「本えびす」から十一日の「残り福」まで、福を求める参拝者であふれます。
西宮まつり 海上渡御の復興
- 9月21日から23日に行われる「西宮まつり」は、最も重要な祭典です。
- 23日の「渡御祭」は、鳴尾の漁師が御神像を持ち帰って祀り西宮神社にお連れした、と言う伝説に由来するものです。
- その中で、「海上渡御」が戦国時代から中断されていたのですが、平成12年(2000)に400年ぶりに復興され、神戸の和田岬へ海上での神幸が行われるようになりました。
境内の様子
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西宮神社の御朱印
(順に、神仏霊場巡拝の道)
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西宮神社の拝観時間
開門時間:
(4月〜8月)5:00〜19:00
(3月〜9月)5:00〜18:30
(10月〜2月)5:00〜18:00
西宮神社の拝観料
無料
西宮神社への行き方(アクセス・地図)
電車
- 阪神「西宮駅」から徒歩5分
- JR「さくら夙川駅」から徒歩10分
- 阪急「夙川駅」から徒歩20分
自動車
- 阪神高速道路「武庫川出口」から10分
- 阪神高速道路「西宮出口」から1分
西宮神社の駐車場
西宮神社の所在地・連絡先
所在地 | 〒662-0974 兵庫県西宮市社家町1−17 |
電話番号 | 0798-33-0321 |
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