御靈神社(上御靈神社)(京都府京都市)

神仏霊場巡拝の道 御靈神社(上御靈神社) 御朱印 ○基本情報
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御靈神社(上御靈神社)(京都府京都市)の基本情報

御靈神社(上御靈神社)ごりょうじんじゃ(かみごりょうじんじゃ)の基本情報(御祭神、御利益、霊場、由緒、境内、御朱印、アクセス)です。

 


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御靈神社(上御靈神社)の御祭神

  • 崇道天皇すどうてんのう早良親王さわらしんのう
    光仁天皇の皇子。藤原種継暗殺の疑いを掛けられ非業の死を遂げる。
  • 井上大皇后いのえないしんのう
    光仁天皇の皇后。難波内親王なにわないしんのうを呪詛して殺害した疑いが掛かり非業の死を遂げる。
  • 他戸親王おさべしんのう
    光仁天皇の皇子。難波内親王なにわないしんのうを呪詛して殺害した疑いが掛かり非業の死を遂げる。
  • 藤原大夫人ふじわらのだいふじん藤原吉子ふじわら の よしこ
    桓武天皇皇子伊予親王いよしんのうの母。謀反の嫌疑がかけられ、伊予親王とともに幽閉されて非業の死を遂げる。
  • 橘大夫きつだいぶ橘逸勢たちばな の はやなり
    最澄、空海と共に唐に渡った貴族で書家。謀反の疑いを掛けられ流罪され非業の死を遂げる。
  • 文大夫文室宮田麻呂ふんや の みやたまろ
    平安時代の貴族。謀反の疑いを掛けられ流罪され死亡。
  • 火雷神ほのいかずちのかみ
    以上六柱の荒魂、菅原道真と習合
  • 吉備大臣きびのおとど吉備真備きび の まきび
    奈良時代の学者。留学生として唐に渡る。右大臣まで異例の昇進。

八所御霊はっしょごりょう」と称され、京都の御霊神社、下御霊神社、奈良の八所御霊神社に祀られる。

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御靈神社(上御靈神社)の御利益

 

御靈神社(上御靈神社)の霊場

  1. 神仏霊場巡拝の道 第100番(京都第20番)
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御靈神社(上御靈神社)の由緒と見所

御霊神社の創建

この地には出雲氏の氏寺である上出雲寺があったのですが、平安時代にはすでに荒廃していました。

平安京に遷都した794年、桓武天皇かんむてんのうの勅願により、非業の死を遂げた弟・崇道天皇すどうてんのう早良親王さわらしんのう)の御霊を祀ったのが始まりです。

非業の死を遂げた早良親王

早良親王は長岡京遷都を主導した藤原種継ふじわらたねつぐを暗殺した疑いが掛けられ、流罪となった親王は食を絶ち、淡路島に流刑される途中に非業の死を遂げます

桓武天皇の周囲で病死が相次ぎ、疫病の流行、洪水などが起こり、早良親王の祟りと噂されました。

幾度か鎮魂の儀式が執り行われ、800年に崇道天皇と追贈されます。

崇道天皇(早良親王)を祀った神社は他に、崇道神社すどうじんじゃがあります。

八所御霊

政争で非業の死を遂げた高貴な方々の神霊を合祀されました。井上大皇后、他戸親王や橘逸勢など八柱です。

八所御霊はっしょごりょうと呼ばれます。

崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)
井上大皇后(光仁天皇の皇后)
他戸親王(光仁天皇の皇子)
藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文室宮田麻呂)
火雷神(以上六柱の荒魂)
吉備大臣(吉備真備)

応仁の乱発端の地

1467年、室町幕府の管領畠山政長はたけやままさながが御霊の森に立て篭もり、畠山義就はたけやまよしなりと家督を争い、応仁の乱が始まりました。

そのため御霊神社は、「応仁の乱発端の地」と言われています。

御霊祭

毎年5月18日に例祭である御霊祭が行われ、剣鉾、牛車、神輿が巡行します。

この剣鉾は御霊会のシンボルとされ、疫神を払うと信じられていて、祇園祭の山鉾の原型になったとも言われています。

 

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境内の様子

 

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御靈神社(上御靈神社)の御朱印

神仏霊場巡拝の道 御靈神社(上御靈神社) 御朱印

(順に、神仏霊場巡拝の道)

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御靈神社(上御靈神社)の拝観時間

拝観時間:7:00〜日没(受付:9:00〜17:00)

御靈神社(上御靈神社)の拝観料

無料

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御靈神社(上御靈神社)への行き方(アクセス・地図)

電車

  1. 地下鉄「鞍馬口駅」下車、徒歩3分
  2. 京阪「出町柳駅」下車、徒歩20分

自動車

  1. 名神高速道路 「京都南IC」から25分

御靈神社(上御靈神社)の駐車場

無料あり

御靈神社(上御靈神社)の所在地・連絡先

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参拝レポート

公式サイト

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