相国寺(京都府京都市)

神仏霊場巡拝の道 相国寺 御朱印 ○基本情報
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相国寺(京都府京都市)の基本情報

 

相国寺 | 臨済宗相国寺派
臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。正式名称は萬年山相國承天禅寺。

相国寺しょうこくじの基本情報(本尊、宗派、開基、霊場、縁起、境内、御朱印、アクセス)です。

京都御所きょうとごしょを北上した場所に相国寺しょうこくじはあり、足利義満により開基されました。

京都五山第二位に列せられる名刹で、境内には十三の塔頭寺院があり、山外塔頭に鹿苑寺ろくおんじ金閣寺きんかくじ慈照寺じしょうじ銀閣寺ぎんかくじ真如寺しんにょじがあります。

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相国寺の本尊

釈迦如来しゃかにょらい

実際に存在した人物で、仏教の開祖。紀元前6世紀インドの小国の王子として生まれ、29歳で出家し、厳しい修行をした結果35歳で悟りを開いて、その教えを広めた。

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相国寺の宗派

臨済宗相国寺派

相国寺の開基

  • 開山 夢窓疎石むそう そせき
    鎌倉末期から室町初期にかけて活躍した臨済宗の僧。後醍醐天皇、足利尊氏の篤い帰依を受け、夢窓派が隆盛する。禅庭・枯山水の完成者として世界史上最高の作庭家の一人で、世界遺産に登録されている京都の西芳寺(苔寺)および天龍寺のほか、瑞泉寺などの庭園の設計でも知られている。
  • 開基 足利義満あしかがよしみつ
    室町幕府の第三代将軍。将軍としての才覚を現し、室町幕府の権力を強化し、南北朝の二つに分かれていた朝廷を合体させた。将軍職を譲り出家した後、明と国交を回復し、「日本国王」として日明貿易を始めた。

相国寺の霊場

  1. 神仏霊場巡拝の道 第99番(京都第19番)
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相国寺の縁起と見所

相国寺 | 臨済宗相国寺派
臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。正式名称は萬年山相國承天禅寺。

ほぼ京都の中心あたりにある京都御所きょうとごしょを北上した場所に相国寺しょうこくじはあります。京都五山第二位に列せられる名刹で、正式名称は萬年山相國承天禅寺まんねんざん しょうこくじょうてんぜんじ

境内には十三の塔頭寺院があり、山外塔頭に鹿苑寺ろくおんじ金閣寺きんかくじ慈照寺じしょうじ銀閣寺ぎんかくじ真如寺しんにょじがあります。

また全国に百カ寺の末寺を擁しています。

相国寺の創建

室町第むろまちだいを完成させ、幕府を移した室町幕府三代将軍である足利義満あしかがよしみつは将軍としての地位を固めました。

夢窓疎石むそう そせきの法要が営まれた際、春屋妙葩しゅんおく みょうは、義堂周信に相談して相国寺の建立を決意しました。

義満は左大臣だったのですが、「左大臣」は中国では「相国」と呼ばれる事から「相国寺」と名付けてはと春屋妙葩から勧められました。

義満は当時、室町幕府「花の御所」と呼ばれた室町第に住んでいたのですが、相国寺はその東となりに建てられました。

1392年に完成されました。

焼失と再建

相国寺は創建されてからしばしば火災に見舞われます。

創建まもない1394年に出火し堂塔伽藍全部を焼失してしまいます。その後も17回の火災があり、そのうち4回も全焼してしまいました。

法堂

1605年に豊臣秀頼によって再建された法堂はっどうは現存し、日本最古の法堂として、桃山時代にできた禅宗様建築としては、最大最優秀作といわれています

本尊の釈迦如来像、脇に阿難尊者木像、摩訶迦葉尊者木像が安置されています。鎌倉期彫刻の代表作家、運慶の作と伝えられています。

高さ11メートルの鏡天井には八方睨みの大きな蟠龍図ばんりゅうずが描かれています。龍は仏法を守護する空想上の瑞獣でその長を龍王、龍神などと称し、八部衆の一つに数えられています。

達磨大師、夢窓疎石、足利義満の像も安置されています。

足利義満

京都にあった天皇家が北と南に分かれて争う南北朝時代、そんな時代に足利義満は、室町幕府二代将軍足利義詮の子として生まれました。

天才的な将軍

1367年義詮が病気で亡くなり、わずか10歳で三代将軍になりました

義満は将軍としての才覚があり、室町幕府の権力を固め、1392年、天皇家が分かれていた南北朝を合体させると言う偉業を成し遂げます。

日本国王 義満

その2年後の1394年、わずか9歳の義持に将軍職をゆずって自分は太政大臣となったのですが、翌年出家するのです。出家をしても、権力は握ったままでした。

京都北山に金閣を中心とする北山殿を建て、そこで政治を行い、1401年に元寇以来途絶えていた明との国交を再開しました。義満は「日本国王」として日明貿易をしています。

北山文化

北山殿に貴族を集めて、和歌、連歌、管弦、猿楽など催しに興じ、宋・元の名画を収集して、ここに北山文化を花開かせた

1408年、北山殿に後小松天皇をの行幸を仰いで、義満は盛大な宴を開きました。しかし、その2ヶ月後、足利義満は病気で52歳で亡くなりました。

夢窓疎石

鎌倉末期から室町初期にかけて活躍した臨済宗の僧です。京都建仁寺の無隠円範に接し,禅宗に帰依しました。

後醍醐天皇にその才覚を見い出され支持され、更に、足利尊氏に篤い崇敬を受けました。

禅庭・枯山水の完成者として世界史上最高の作庭家の一人であり、天龍寺庭園と西芳寺庭園が「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。

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境内の様子

 

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相国寺の御朱印

神仏霊場巡拝の道 相国寺 御朱印

(順に、神仏霊場巡拝の道)

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相国寺の拝観時間

拝観時間 10:00-16:30(16:00受付終了)

*春と秋の特別拝観時のみ参拝できます

相国寺の入山料

○ 入山料 境内自由(無料)

*春と秋の特別拝観時のみ参拝できます

○ 春と秋の特別拝観

大人・大学生 中学生・高校生 65歳以上 未就学児
800円 700円 400円 無料
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相国寺への行き方(アクセス・地図)

電車

      1. 地下鉄「今出川駅」下車、徒歩6分
      2. 京阪「出町柳駅」下車、徒歩15分

自動車

      1. 名神高速道路「京都南IC」から22分

相国寺の駐車場

なし

相国寺の所在地・連絡先

参拝レポート

 

公式サイト

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