大林寺 (大阪府松原市)
大林寺 (大阪府松原市)
本尊
阿弥陀如来
宗派
融通念仏宗
開基
永興律師
霊場
河内西国第五番
縁起
縁起
永興寺は、奈良時代の僧永興律師によって草創され、布忍寺と名付けられたとされています。のち弘安年間(1278年~87年)に中興され、草創の永興律師にちなんで永興寺と呼ばれるようになったと伝えられています。
その後も元禄三年(1690年)に再興され、幾度か衰退と復興をくり返しながら、明治六年ついに廃仏毀釈の動きの中で廃寺となるに至りました。その後本堂が、現存する唯一の建造物として柏原市法善寺の壺井寺に移築され、本尊とみられる十一面観音立像等いくつかの所蔵品がこの大林寺に移されたのです。
(河内西国ホームページより)
尚、大林寺の十一面観音菩薩は、永興寺の元本尊です。
永興律師と法華経持者
河内国羽喰庄布忍山永興寺は73代堀河天皇のころ永興律師の怪奇である。紀州牟婁郡の熊野山で小庵をむすび常に法華経を誦じて、年月を過ごし浄行満行の身となり給うた。その時随身の弟子あって、諸国行脚を思いたち律師にいとまを乞うて別れ旅に立った。2年を経て、熊野の山中に一つの骸骨あり、舌朽ずして、法華経を読誦する。脇に法華経一部水瓶一口あり、弟子の持物に誤またず、その後3年の間、経の声やまず一夜律師の夢枕に立って「我生国は河内国羽喰庄となり出家の時、法華経1万部誦せんと願を起す。命あって望みをはたさず、よって死後も舌、朽ちず誦すること3年、ついに願望成就す、願わくば遺骨を拾って故郷をうつし、一宇の梵舎を建立し給え」と律師、河内に至りて双角の童子白き布にて顔をかくせる不思議の姿あり、ここに精舎建立を告げられる。
律師このことを堀川院に奏し、ついに寛治3年5月、金堂に観世音菩薩を安じ、堂下に弟子の遺骨を収し、西に五重塔、東に薬師如来の寳殿をたて、仏殿・経蔵・僧坊・鐘楼・仁王門・回廊・食堂等が甍を並べたと言う。
永興律師と法華経持者の話は「日本霊異記」にみえ、更に「今昔物語」や「元享釈書」にも書かれていている話である。
(由緒書きより)
境内案内
御朱印
アクセス
大阪府松原市北新町1-10-5
TEL072(331)0718
近鉄「布忍」駅徒歩5分
関連
参拝レポート
コメント
[…] 大林寺 (大阪府松原市)大林寺の基本情報(本尊、宗派、開基、霊場、縁起、境内案内、御朱印、アクセス)です。inorilog.com2019.12.11 参拝レポート 寺 河内西国三十三所 シェア […]