真言密教の聖地、高野山金剛峯寺で一日楽しむ(その3)
南海電鉄の「高野山1万人ご招待キャンペーン」に当たった僕は高野山へ。
高野山の中核である金剛峯寺をほぼ独占状態で拝観して満足しました。
次は中門、金堂、大塔など高野山を代表する建築物がある壇上伽藍に向かいます。
高野山と言うとこの場所を想像する人が多いと思います。
〜 前回 〜
壇上伽藍
金剛峯寺を出て、西に歩くと、壇上伽藍に行く道があります。
蛇腹路と呼ばれる小道で、弘法大師が「東西に龍の臥せるがごとく」と形容されました。
さすが、弘法大師です。
ネーミングセンスが高いです。
壇上伽藍には、中門、金堂、大塔など高野山を代表する建築物があります。
高野山と言うとこの場所を想像する人が多いのではないでしょうか。
弘法大師が高野山に来て最初に整備した重要な場所です。
密教思想に基づく塔・堂が建立されました。
壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。
六時の鐘
歩いていると、鐘の音がしました。
立ち止まって見ると、高い石垣の上に鐘楼があります。
「六時の鐘」と呼ばれる鐘楼で、福島正則が父母の追福菩提を祈って、1618年に建立しました。
現在も、午前6時より午後10時まで、偶数時に時刻を知らせています。
江戸時代から続く鐘の音を僕は聞けたのですね。
不思議な気分です。
運がいいのかも知れません。
そう思いたいので、そう思わせて下さい🙇♀️
東塔
蛇腹路を歩いていると、形の良い綺麗な塔が建っています。
東塔です。
東塔と名付けてあると言うことは西塔もあると言うことですね。
平安時代1127年に、白河上皇の御願によって創建されました。
所が江戸時代末期の1843年に焼失してします。
現在あるのは1984年に140年ぶりに再建されたものです。
三昧堂
東塔のすぐそばにある三昧堂です。
「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになりました。
別な場所にあったのですが、西行法師がこの場所に移されたそうです。
三昧堂の前の桜は、西行法師手植えの桜として、西行桜と呼ばれています。
少し離れて見ると、東塔と三昧堂の屋根には雪が積もっていました。
大会堂
大会堂です。
鳥羽法王の皇女が父の追福のため建立されました。
愛染堂
愛染堂です。
1334年、後醍醐天皇の命令によって玉体安穏を祈るために建立されました。
本尊は愛染明王で、天に向かって弓を射る姿から天弓愛染明王と呼ばれています。
根本大塔
これは、きっと皆さんは見た事があると思います。
高野山の写真にはよく使われていますよね。
そう、根本大塔です。
嬉しくて何枚も写真を撮ってしまいました。
弘法大師がこの大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので、古来から根本大塔と呼んでいます。
本尊は胎蔵大日如来で、その周りを金剛界の四仏が取り囲み、更に16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖が描かれています。
つまり堂内そのものが立体の曼荼羅なのです。
根本大塔の中を拝観する事が出来ます。
中に入ると、運よく誰もいませんでした。
僕一人です。
色鮮やかで美しい大日如来さまがいらっしゃいます。
僕はその目に前に正座して、手を合わせました。
誰もいないので、般若心経を声を出して読み、大日如来さまと少し話をしました。
気分が落ち着き、胸がすっとしました。
根本大塔で自分一人と言うのは滅多とない事です。
これも弘法大師さまの配慮でしょうか。
弘法大師さま、ありがとうございます🙇♀️
金堂
根本大塔のすぐ近くにある大きな建物は、金堂です。
朱塗の根本大塔に対して、質素な建物です。
高野山の開創時に、弘法大師によって建設されたお堂で、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。
本尊の阿閦如来(薬師如来、秘仏)が、祀られています。
中に入って拝観することが出来ます。
本尊は見ることは出来ませんが、手を合わせました。
三鈷の松
金堂の裏側に瑞垣で囲まれた松の木があります。
「三鈷の松」と呼ばれる松です。
806年、弘法大師が唐から帰る前に、日本で密教を広めるのにふさわしい場所はどこなのか?と、港から密教の法具である三鈷杵を投げると、三鈷杵は日本に向かって飛んで行きました。
帰国後、その三鈷杵を探し求めると、この松の木にかかっていたのです。こうして高野山は真言密教の道場として開かれる事となりました。
以降、この松の木は「三鈷の松」と呼ばれています。
普通、松の葉は2つか5つですが、「三鈷の松」は三鈷杵のように3つになっています。
守りとして財布の中に入れて持っていると弘法大師のご利益を授かると言う話です。
つまり、、、
僕はお金持ちになって、幸せ者になること間違い無しです!!!🤗
中門
金堂の正面、道路に面した場所に、朱塗りの楼門が立っています。
中門です。
高野山の総門である大門に対して、壇上伽藍の門は中門と呼ばれています。高野山が開創した頃に創建されたのですが、当時は結界の意味合いが強い鳥居状のもので、焼失と再建を繰り返し、楼門の形になりました。
壇上伽藍は江戸時代1843年の大火によって、西塔を残して焼き尽くされ、中門も無くなりました。
それ以来、中門は再建されず、礎石だけが中門跡として残されていました。
2015年(平成27年)、高野山開創1200年を記念して170年ぶりに、再建されました。
今では、壇上伽藍の中で一際目立つ存在になっています。
中門には、持国天像・多聞天像・広目天像・増長天像の四天王がまつられています。
僕は、大阪の四天王寺を思い出しました。
四天王がいると思うだけで、守られているという安心感があります。
聖火リレーの看板
なに〜・・
これから大門に向かうのですが、オリンピックの聖火リレーの看板がありました。
4月10日に聖火リレーがあるのです。
今日は3月23日。
少し早すぎたようです・・・😢
大門
随分と歩きましたが、大門が見えて来ました。
高野山の入り口に当たるのですが、金剛峯寺や壇上伽藍から離れているので、大門を見る人が少ないように思います。
大きいです!😀
大門は高野山の入り口にあり、高野山の総門で、高さは25.1メートルあります。
左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。東大寺南大門の仁王像に次ぐ二番目の巨像です。
弁天岳の嶽弁天(だけべんてん)
大門のすぐ近くに、弁天岳登山口があり、山頂には、弘法大師が勧請された嶽弁才天がまつられています。
何度も高野山に参拝しているのですが、まだ、ここを登ったことがありません。
だから、上の方はどうなっているのか、僕は知りません。
登った事がない・・😅
・・
・・
では、登れば良いのではないか。😎
急にここを登って嶽弁才天を参拝したくなりました。😀
僕の気持ちは抑えきれません。😊
さあ〜行きましょう〜
レッツゴーです。
奥の方まで道は続いているのは分かるのですが、誰もいませんね。
赤い鳥居が何本も建てられていました。
弁天さまに続く有り難い道という雰囲気です。
ひーー、ふーー、、、
しかし、疲れて来ました。
思ったより遠いです。
道沿いに小さな地蔵さまを祀った祠があります。
そっと手を合わせました。
地蔵さま、どうぞ弁天さまに会うまでお守り下さい🙏
右手を見ると、高野山の街並みが見えました。
グランド?と塔?の屋根が見えます。
随分と登りましたね。
少し、登った事を後悔し始めました。
が、頑張ります!
お〜!😀
赤い鳥居⛩
その向こうに祠が見えます!
間違い無いです。
着いたのです!
大門からここまで30分弱かかりました。
頑張りました。
褒めてください🙏
左手にどこか?の街並みが見えます。
どこの街並みか分かりませんが、景色が良いです。
弘法大師が勧請された嶽弁才天です。
古く見えるのですが、赤い鳥居が綺麗で華やかな感じがします。
狛犬さまは、「僕はきちんと弁財天さまを守っているよ」と言っているように見えました。
僕は手を合わせて、弁財天さまに感謝して、幸せになれるように祈りました。
こんなに山を登ったのだから、弁財天さまは願いを聞いてくれるはずです。
信じていますよ!弁財天さま!
ここは山の頂上で人もあまり来ない場所なのですが、綺麗に整備されています。
信仰の力ですね。
大門から登って来たのですが、更に進むと高野山駅に近い場所にある女人堂まで歩くことが出来ます。
しかし、どのくらい時間がかかるか分かりません😅
うーどうしよう
このまま進むか、戻るか?
え〜い、行ってしまえ〜
道は悪いようですが、頑張ります。
・・
・・
30分弱かかりましたが、無事に山を抜けて女人堂に到着しました。
良かったです。
出口に地図がありました。
この地図で、大門から弁財嶽を通り女人堂まで、どんなふうに歩いたか分かります。
途中で見えたグランドは高野山高校のグランドで、塔は根本大塔でした。
続きへ
代表的建築物のある壇上伽藍は見応えがありましたね。
でも、思いつきで行った弁天岳はキツかったです。
とりあえず、女人堂に到着しました。
次は女人堂に参拝して、遠いですが、弘法大師霊廟のある奥の院に行きます。
〜 続き 〜
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