龍谷山 水間寺(大阪府貝塚市)の基本情報
水間寺の基本情報(本尊、宗派、開基、霊場、縁起、境内、御朱印、
水間寺の本尊
聖観世音菩薩
観世音菩薩は、観音の名を唱えて助けを求める人があれば、どんな願いでも聞き入れてくれる。33の姿になって現れるのですが、聖観世音菩薩は人に近い基本的な姿をしている。
水間寺の宗派
天台宗
水間寺の開基
行基
大阪府堺市で生まれた行基は、民間布教や社会事業に尽力し、東大寺の大仏建立、久米田池など大きな国家事業に携わりました。生涯に49の寺を建立しています。
水間寺の御利益
水間寺の霊場
- 新西国三十三箇所 第4番
- 和泉西国三十三箇所 第26番
- 神仏霊場巡拝の道 第53番
- 南海沿線七福神(弁財天)
水間寺の縁起
聖武天皇の夢のお告げ
○ 水間寺は、聖武天皇が病気になられ、夢のお告げがあった事に由来します。
聖武天皇が42歳の時に病気にかかられ、「奈良の都の南西に観音菩薩が出現される」と夢のお告げがありました。聖武天皇は最も信頼されていた行基に仏像を探すように依頼すると、この2つの川が合流する水間の地やってきました。すると突然、行基の前に「十六人の童子」が現れ、ついて行くと、白髪の老人が観音菩薩像を渡し、龍となって昇天しました。
観音菩薩像を聖武天皇に捧げると、天皇は全快されました。
聖武天皇は、この仏様を現地にお祀りするようにとの勅命を下し、行基は水間寺を建立し、厄除け観音として人々は信仰されました。
○ 豊臣秀吉による根来攻めがあった時、水間寺は根来寺にくみした為、堀秀政の軍勢に攻められ、多くを焼失してしまいます。江戸時代に入り、岸和田藩主の岡部氏の帰依を受け、伽藍は再建されました。
水間の「お夏清十郎」の伝説
○ 愛染堂は愛染明王を祀っていて、愛染明王は祈る者には敬愛の徳を授け、縁を結び、福を与えると言われています。
この水間寺には、身分の違いを乗り越えて結ばれたお夏と清十郎の話が伝わっています。
伏見天皇からの勅使として来た山名清十郎という武士がいました。その身の回りの世話をしたのは豪農の娘お夏でした。いつしか二人は恋に落ちますが、身分の違いというものがあり、清十郎は都に帰ってしまいます。
お夏はいつまでも清十郎の事を思い、毎晩、縁結びの神様である愛染明王に祈りました。
南北朝の戦いが始まってしまい、清十郎は後醍醐天皇の南朝として戦います。清十郎は戦功を挙げるのですが、軍が敗北し清十郎は追われ、戦地で落ち人として彷徨ってしまいます。
話を聞いたお夏は清十郎を探して、戦場を何日も歩き、住吉の松原で清十郎を見つけました。
二人は水間の村に戻り、生涯を終えるまで仲良く暮らしました。
今は、愛染堂の前の墓で二人は眠っています。
水間のお夏清十郎の話は、昭和11年(1936年)に映画化されました。
○ 愛染堂は縁結びで広く知られ、「恋人の聖地」に選ばれています。
水間鉄道
○ 南海電鉄「貝塚駅」から「水間観音駅」の5.5キロを結ぶ水間鉄道は、水間寺に参詣する為に作られた鉄道で、1925年に開通し、もうすぐ100周年の歴史ある鉄道です。
「水間観音駅」は、近畿の駅百選に選ばれています。
境内の様子
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水間寺の御朱印
(順に、和泉西国三十三箇所、神仏霊場巡拝の道、南海沿線七福神)
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水間寺の拝観時間
拝観時間 8:30〜16:00
水間寺の入山料
無料
水間寺への行き方(アクセス・地図)
電車
- 南海本線「貝塚駅」から水間鉄道「水間観音駅」下車、徒歩10分
自動車
- 阪和自動車道「貝塚IC」から3分
水間寺の駐車場
無料あり (約200台)
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