犬鳴山 七宝龍寺

行者の滝と朱塗りの橋
本尊
倶利伽羅大龍不動明王(秘仏)
宗派
真言宗犬鳴派(大本山)
開基
役小角(西暦661年)
霊場
葛城二十八宿修験根本道場
近畿三十六不動霊場第33番
役行者霊跡札所霊場
神仏霊場第54番(大阪第13番)
南海沿線七福神(布袋尊)
縁起
「犬鳴山」の由来
宇多天皇(889〜898)の寛平二年(890年)三月、紀伊の猟師が犬を連れて、当山の行場「蛇腹」附近で一匹の鹿を追っていました。猟師の傍の大樹に大蛇がいて、猟師を狙っていましたが、猟師はそれに気づかず弓をつがえ、鹿に狙いを定めて射ようとしたとき、猟師の犬は愛犬は急にけたたましく吠えだしました。犬の鳴声におどろいた鹿は逃げてしまい、獲物を失った猟師は怒って、腰の山刀で吠え続ける愛犬の首に切りつけました。犬は切られながらも大蛇めがけて 飛び上がり、大蛇の頭に噛みつき、猟師を助けて大蛇と共に倒れました。
事の意外さを知った猟師は、自分の命を救って死んだ愛犬の死骸をねんごろに葬り、弓を折って卒塔婆とし、そして七宝瀧寺に入って僧となり、永く愛犬の菩提を弔いつつ、安らかに余生をすごしたと語り伝えられています。
この話を聞いた宇多天皇は「報恩の義犬よ」と賞し、「一乗鈴杵ヶ岳(一乗山、鈴杵ヶ岳とも)」を改め「犬鳴山」と勅号を与えたと伝えられています。
「七宝龍寺」の由来
淳和天皇(824〜834)の時、天下大早魃があり、そこで淳和天皇は諸国の霊山、神社仏閣に祈雨の祈願をさせ、当山でも住侶が本尊不動明王に祈雨の大法を修しました。すると霊験空しからず、泉州一円は慈雨に恵まれることができました。そこで淳和天皇は、犬鳴山中にある著名な七瀑を金銀などの七宝に因んで、 七宝瀧寺と命名しました。七瀑とは、両界の滝(金胎両部の瀧として二瀑があり、これを合わせて両界の瀧といいます。一の瀧とも)、塔の瀧、弁天の瀧、布引の瀧、固津喜の瀧、行者の瀧、千手の瀧、の七つで、今も尚千古の姿のままに飛沫を上げています。
さらに、弘法大師空海は、この七瀑に七福神を祭祀されました。このため山中の七瀧は七福神・不動の霊瀑といわれ、一度この山を参詣すれば、七福神・不動明王の霊気を受け、福徳増進するといわれています。
境内案内

厄除十一面観音菩薩

宇賀耶白長弁財天

志津の涙水

癌除けお岩竜王

護摩場

身代わり不動明王

布袋尊

水掛け不動尊

韋駄天神

ボケよけ不動尊

倶利伽羅大龍不動明王

鎮守堂 白髭一言稲荷大明神

本堂

賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)

亀石占い

南無三宝大荒神

清滝堂

行者の滝
御朱印

御朱印 大龍不動
アクセス
所在地 | 大阪府泉佐野市大木8 七宝瀧寺 |
電話 | 072-459-7101(本堂・FAX兼)072-459-7219(白雲閣) |
メールアドレス info@inunakisan.jp
開門時間 午前7時から午後5時まで
公共交通機関
南海本線 泉佐野駅(急行停車)またはJR阪和線 日根野駅を下車、犬鳴山行南海バス終点下車、参道を1,000m上ると本堂。
(バス30分毎、所要時間30分)
車
泉佐野粉河線の南海バス犬鳴山終点の手前100m、一の庄橋を渡り、犬鳴林道を1km半にて本堂上の広場に至る。それより100m下へ。広場には50台駐車可。
コメント
[…] 犬鳴山 七宝龍寺犬鳴山 七宝龍寺 基本情報(本尊、宗派、開基、霊場、縁起、境内案内、御朱印、アクセス地図)inorilog.com2019.11.09 […]