阿部野神社(大阪府大阪市)の基本情報
阿部野神社の基本情報(御祭神、御利益、霊場、由緒、境内、御朱印、
阿部野神社の御祭神
北畠親房
後醍醐天皇に仕え、吉野朝(南朝)の中心人物として働き「神皇正統記」を記して南朝の正当性を主張した。
北畠顕家
北畠親房の長子で、数々の功績を上げる。楠木正成と共に足利尊氏と戦い、壮烈な戦死を遂げました。
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阿部野神社の御利益
阿部野神社の霊場
- 神仏霊場巡拝の道 第44番(大阪3番)
- 建武中興十五社
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阿部野神社の由緒
北畠親房公、北畠顕家公について
○ 御祭神の北畠親房公は、村上源氏の血筋を引く鎌倉時代後期から南北朝時代の貴族・武将です。
建武の新政下では、足利尊氏謀叛による二度目の京都攻めのため後醍醐天皇が吉野に入られると、吉野朝(南朝)の中心人物として働き、「神皇正統記」を記して南朝の正当性を主張しました。
後醍醐天皇の崩御後は、後村上天皇に仕えました。
神社の創建
○ 御祭神の北畠顕家公は、北畠親房の長子で、わずか13歳にして朝廷の庶務を担い、若くして数多くの功績をあげました。
1334年に足利尊氏が謀反を起こすと、上洛して、楠木正成らと共に九州に敗走させることに成功するのですが、4年後、勢力を盛り返した尊氏と戦い、阿倍野・石津の戦いで壮烈な戦死を遂げました。御年二十一歳でした。
○ 阿部野神社は北畠顕家公が足利軍と戦った古戦場であり、明治に入って北畠顕家公のお墓として伝えられている墓碑が見つかりました。これがきっかけとなり、神社創建運動が起こり、1882年に創建されました。
全国にある建武の中興に尽力された天皇、皇子、そして多くの忠臣義士をお祀りしている「建武中興十五社」の一つに数えられています。
○ 大東亜戦争中、米軍の大空襲で社殿は社殿は焼失してしまいます。1968年、本殿が復興されました。
境内の様子
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阿部野神社の御朱印
(神仏霊場巡拝の道)
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阿部野神社の拝観時間
拝観時間:6:00〜16:30
阿部野神社の拝観料
無料
阿部野神社への行き方(アクセス・地図)
電車
- 南海「岸里玉出駅」から徒歩5分
- 阪堺電車「北畠駅」から徒歩8分
自動車
- 阪神高速道路「玉出出口」から5分
阿部野神社の駐車場
阿部野神社の所在地・連絡先
所在地 | 〒545-0035 大阪府大阪市阿倍野区北畠3-7-20 |
電話番号 | 06-6661-6243 |
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