城南宮(京都府京都市)の基本情報(御祭神、御利益、霊場、由緒、境内、御朱印、 アクセス)
城南宮の基本情報(御祭神、御利益、霊場、由緒、境内、御朱印、
都の守護と国の安泰を願って、平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除の大社」と仰がれています。
城南宮の御祭神
- 国常立尊
天地創成神話の国土神の最初の神で、国土を永遠に守る神。独神。神道で重要視される。 - 八千矛神
大国主神の異名のうちの一つ。少名毘古那と共に葦原中国の国土造りを行い完成するが、天照大御神のお願いです国を譲る。 - 息長帯日売尊
神功皇后の別名。仲哀天皇の皇后で応神天皇の母。急逝した夫の仲哀天皇に代わり、応神天皇を身籠りながら新羅・百済、高句麗の三韓を征伐をして帰服させた。
国常立尊、八千矛神、息長帯日売尊の三柱を合わせて、城南大神と言います。
城南宮の御利益
方除け・厄除け
城南宮の霊場
- 神仏霊場巡拝の道 第83番(京都3番)
- 五社めぐり(朱雀)
城南宮の由緒と見所
京都の南にあり、近くには名神高速道路、阪神高速道路が通る交通の要所にある。
敷地内には、美しい神苑があり多くの人が訪れます。
平安城の南に鎮まる宮、城南宮
794年、平安京に遷都するときに、国土安泰、王城鎮護を願い、国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせて祀り城南大神と崇めました。
城南宮とは平安城の南に鎮まるお宮という意味です。
当時は、朱雀大路を羅城門から南に延長した鳥羽の作り道が城南宮まで続き、また鴨川と桂川が合流する鳥羽の津に近く、水陸の交通の要所でした。
城南離宮(鳥羽離宮)
平安時代の後期、白河上皇や鳥羽上皇は「鳥羽の水閣」とも呼ばれた城南離宮(鳥羽離宮)を築いて院政の拠点としました。
城南祭では神輿行列に加え、流鏑馬や競馬が行われ賑わいます。
城南宮は離宮の鎮守として一層崇められ、離宮は政治・文化の中心となります。
方除の信仰
城南宮は、熊野詣の精進所や方違の宿所が設けられ、上皇や貴族は方位の災厄から無事であるよう祈願され、方除の信仰が高まりました。
このように城南宮の方除の御神威は平安時代の昔より顕われています。
承久の乱
源頼朝により武士による鎌倉幕府が起こり、武士による政治が進められます。しかし鎌倉幕府にも問題が起こります。
源頼朝が死去し、2代将軍頼家、3代将軍実朝が共に早世。清和天皇を祖とする源氏本流の血筋が途絶えてしまったのです。
それをチャンスと見たのが後鳥羽上皇です。
1221年、後鳥羽上皇は朝権を回復すべく城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を募られ、鎌倉幕府との間に承久の乱を起こしました。
倒幕を図りましたが、あえなく戦いに敗れ、後鳥羽上皇は隠岐に流されました。
鳥羽伏見の戦い
明治維新を決定つけたのは、1868年の鳥羽伏見の戦いです。
城南宮はその勃発地でした。城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まりました。
旧幕府軍に勝利すると薩摩の軍勢は城南宮の御加護によって勝利を得られた、と御礼参りに訪れました。
神苑「楽水苑」 〜 源氏物語花の庭
城南宮の神苑「楽水苑」は、『源氏物語』に描かれた80種あまりの草木が植栽されています。
源氏物語の主人公・光源氏は、四季の庭を備えた大邸宅「六条院」を造り、季節の移り変わりを愛で様々な遊びを行いました。白河上皇はこの「六条院」に触発されて、院政の拠点となる城南離宮の造営に取り組んだと言われています。
神苑の拝観は
A期間 1月1日から7月21日、9月1日から12月31日
B期間 7月22日から8月31日(夏季期間)
の2種の期間に分けて公開します。
境内の様子
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城南宮の御朱印
(順に、神仏霊場巡拝の道、五社めぐり)
☝️クリックすると拡大表示されます
城南宮の拝観時間
拝観時間: 境内自由
神苑9:00~16:30(受付終了16:00)
※7月22日~8月31日は南神苑は拝観休止、北神苑のみの拝観。
城南宮の拝観料
無料
神苑:600円(7月22日~8月31日の期間は北神苑のみ特別拝観料)
城南宮への行き方(アクセス・地図)
電車
- 近鉄または地下鉄「竹田駅」から徒歩15分
- 近鉄または地下鉄「竹田駅」からバス3分「城南宮東口」下車、徒歩3分
自動車
- 名神高速道路 「京都南IC」から2分
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