神護寺(京都府京都市)の基本情報
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神護寺の基本情報(本尊、宗派、開基、霊場、縁起、境内、御朱印、
神護寺の本尊
薬師如来(国宝)
東方の浄瑠璃世界に住む仏である事から薬師瑠璃光如来と言う。病気を治す、寿命を伸ばすなどの十二の大願を立てた事から現世利益の仏として信仰される。
神護寺の宗派
高野山真言宗
神護寺の開基
和気清麻呂
奈良末期から平安初期の公卿。道鏡が天皇になろうと企んだとき、宇佐八幡宮の神託をうけてこれを阻止した。道鏡の怒りをかった為に鹿児島県大隅に流されたが、道鏡失脚後、桓武天皇の信任を得て従三位となった。平安遷都の提唱者である。
神護寺の霊場
- 仏塔古寺十八尊 第7番
- 西国薬師四十九霊場 第44番
- 神仏霊場巡拝の道 第90番(京都第10番)
神護寺の縁起と見所
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京都市の北西の山に建てられた神護寺は、最澄、空海ゆかりの寺。
空海と最澄の交流の舞台となりました。空海を語る上で避ける事の出来ない寺です。
現在では、紅葉の名所として知られ、秋には多くの観光客が訪れる。
和気清麻呂の私寺から真言宗の寺へ
奈良時代769年の道鏡事件で道鏡が天皇となるのを阻止した和気清麻呂は、781年に河内に神願寺を、京都に私寺として高雄山寺を建立しました。
清麻呂が没すると、高雄山寺の境内に清麻呂の墓が祀られ、和気氏の菩提寺としての性格を強めました。
824年に、清麻呂の子である真綱と仲世は、神願寺と高雄山寺を合併し、神護国祚真言寺(神護寺)と改め、一切を空海に付嘱し、それ以後真言宗として現在まで続いています。
道鏡事件
奈良時代の769年、孝謙天皇の寵愛を受け、権力を得た道鏡に媚びた宇佐天満宮の神官から「道鏡を皇位につけたら天下太平である」と言う神託が届けられた。
天皇は確認の為、宇佐天満宮に和気清麻呂を派遣すると「我が国は君臣の分が定まっている。いまだ臣もって君となしたことがない。天つ日嗣は必ず皇儲をたてよ」との神託を持ち帰りました。
「道鏡を天皇にせよ」と言う神託は偽物のだったのです。
和気清麻呂は道鏡の怒りを買い、鹿児島の大隅に流罪となったが、道鏡失脚後、桓武天皇の信任を得て従三位となりました。
最澄と神護寺
比叡山で籠って修行をしていた最澄に対して、和気清麻呂の子、弘世と真綱は期待を寄せていて、高雄山寺に最澄を招き、法華会(法華経の講説)を依頼しました。
その後最澄は、弘世の計らいで還学生(短期留学生)として遣唐使船に乗り、唐に渡ります。
帰国後、最澄は天台宗を開くのですが、桓武天皇が興味を持ったのは密教でした。仏教は顕教と密教に分けられ、密教は最新の仏教で「秘密の教え」と言う意味があり、呪術的な儀式な儀式や祈祷があります。
最澄は高尾山寺で我が国初の密教の灌頂壇を行います。灌頂とは、正統な継承者とするための密教の儀式です。
しかし、最澄が伝授された密教は、正統なものではなく質の悪いものでした。
空海と神護寺
最澄と同じ遣唐使船で唐に渡り、空海は恵果から密教を伝授されました。恵果は龍猛から続く密教の正統継承者で、初めて金剛頂系の密教と大日経系の密教を学んだ人物です。つまり空海は二つの密教を正統に伝授されたのです。
帰国してから大阪和泉国の槇尾山の山々を歩き回っていたと言われます。槇尾山寺は西国三十三所の霊場になっている現在の施福寺です。
809年「京に登れ」と命令があり、空海は高尾山寺のちの神護寺に入山し、唐で伝授された密教を広めました。
のちに空海は高野山を開創し、東寺を賜ります。
空海と最澄
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遣唐使
最澄は東大寺で出家した正式な国家公認の僧侶でしたが、空海は無名の私度僧つまり非正規の僧侶でした。
この地位の違う二人は偶然、同じ遣唐使船で唐に仏教を学びに行きます。
唐で二人が出会ったのかどうかは分かりません。
最澄は先に帰国するのですが、天台宗と共に密教も持ち帰っていました。最澄の最大の目的は天台宗でしたが、時の天皇、桓武天皇が興味を持ったのは密教でした。所が最澄が持ち帰った密教は正式なものでは無かったのです。
正式な密教を持ち帰ったのは空海です。空海は唐で正式に密教を伝授されていました。
空海に教えを乞う最澄
空海が高尾山寺に移り住んだときに、最澄は何度も空海から密教の経典を借りて書写しました。手紙に「弟子 最澄」と書く程、最澄は低い姿勢でお願いしてました。
そして最澄は空海から灌頂を願いました。灌頂とは、正統な継承者とするための密教の儀式ですが、実際に受けたのは密教と縁を結ぶだけの結縁灌頂です。
最澄は経典を書写して経典で学習すれば良いと思っていたようですが、密教は師から直接指導されなければ正式に継承する事は出来ないのです。
それも何年もかかります。
絶縁
最澄は天台宗の為に忙しいので、一番弟子の泰範を空海に預け指導をお願いしました。弟子の中でも最澄が天台宗を継がせたいと思っている程に愛情を捧げている弟子です。
所が、大きな事件が起こるのです。
最澄がいつものように、密教で重要視される「理趣経」の注釈書である「理趣釈経」を借りようとするのですが、空海は最澄を批判して断りました。
また最澄は手紙を何度も出して預けた泰範を戻そうとするのですが、弟子が拒否して戻って来ないのです。最後の返事の手紙を代筆して書いたのは空海だと言われています。
空海と最澄は絶縁しました。二人の考え方の違いもあったのだと思いますが、この事が原因だとも言われています。
司馬遼太郎の「空海の風景」に詳しく書いていますので、興味ある方は読んで見てください。空海と最澄のやり取りは実に面白いです。上巻と下巻があるのですが、下巻に方に書かれています。
源頼朝像 平重盛像 藤原光能像
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後白河法皇が、平安時代末期の1190年に、仙洞院を建て、崩御されてから室内に飾られた有名な似絵で、よく教科書にも載せられている肖像画です。
当初は、中央に後白河法皇像、これに対して左右に源頼朝像、平重盛像、下座に平業房像、藤原光能像が、いずれも視線を法皇に向き、お仕えする形で飾られていました。
僕が神護寺で見たのは、レプリカだと思うのですが、威厳があり畏れ多い気持ちになりました。
神護寺で踊る僧侶
神護寺で動画が紹介されていました。
神護寺で踊る僧侶がカッコいいです!
バックで流れるブラインディング・ライツの 「ザ・ウィークエンド」 にとっても合っています。
境内の様子
☝️クリックすると拡大表示されます
神護寺の御朱印
(順に、神仏霊場巡拝の道)
☝️クリックすると拡大表示されます
神護寺の拝観時間
拝観時間 9:00~16:00
神護寺の入山料
○ 入山料
大人 | 高校生 | 中学生 | 小学生 | |
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一般 | 600円 | 600円 | 600円 | 300円 |
神護寺への行き方(アクセス・地図)
電車
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- JR「京都駅」からバス50分「高雄」または「槇ノ尾」下車、徒歩20分
- 阪急「烏丸駅」からバス50分「高雄」または「槇ノ尾」下車、徒歩20分
- JR「京都駅」からバス50分「高雄」または「槇ノ尾」下車、徒歩20分
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自動車
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- 名神高速道路「京都南IC」から1時間10分
- 名神高速道路「京都南IC」から1時間10分
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神護寺の駐車場
なし
近くに無料の「高雄大駐車場」が便利です。但し、11月の紅葉シーズンは有料です。
神護寺の所在地・連絡先
所在地 | 〒616-8292 京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5番地 |
電話番号 | 075-861-1769 |
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