薬園八幡神社
薬園八幡神社
祭神
誉田別命
息長足媛命
由緒
当社の創建は奈良朝孝謙天皇代の天平勝宝元年であって、千二百五十八年前(平成十九年現在)のいにしえに遡る。『続日本紀』に詳述のとおり、藤原広嗣の乱の平定と聖武天皇の病気平癒の祈願に、さらに大仏造顕に協力する神として、宇佐の八幡大神はあらたかな霊験を現され、その絶対的神威は中央第一の神として朝廷の厚い崇敬をうけるに至った。
七四九年七月孝謙女帝が即位、年号は改まって天平勝宝となったこの年の十一月、大仏完成擁護の神託を奉じた八幡大神は宇佐から都に向われ、天皇は石川朝臣年足、藤原魚名等の重臣を迎神使として遣わされて、十二月平城宮の南、梨原の薬園新宮内に設けた神殿に迎え祀られる。梨原の地はもと広大な薬園のあったところで、新宮の名もこれに因む。そしてここより東大寺へ遷座の際、八幡大神の御分霊をこの新宮内の神殿に留めて奉斎し、由緒ある薬園の地名を冠して命名されたのが、すなわち当社の創始であり、由緒またこれより生まれる。こうして翌二年九月今の御旅所の地清澄荘薬園に遷座され、時移り延徳三年に至って現社地の南薬園に鎮座せられたのである。
思うに、薬園八幡神社は聖武太上天皇の仰せをうけ、創建以来朝廷より勅額・神階・神領を賜って奉幣にあずかり、社殿の造修も受けつつあったが、星霜を経て幕府の政権となって遂に途絶え、足利時代末期に現社地への遷祀となった。しかし近世に至って藩主等の尊敬もうけ、やがて、薬園地域全ての氏子をもって存する天井、本庄、塩ノ庄等の総社となり、薬園の旧蹟に厳存して歴史を誇る社頭を保持しつつ、市の中心部地域の殆どを氏子に擁する産土神として、親しまれ崇められている。
例祭
10月12日
アクセス
〒639-1141 奈良県大和郡山市材木町32
0743-53-1355
JR郡山駅から徒歩で5分
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