水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)の基本情報
水無瀬神宮の基本情報(御祭神、御利益、霊場、由緒、境内、御朱印、
水無瀬神宮の御祭神
- 第八十二代天皇 後鳥羽天皇
和歌を愛した天皇で新古今和歌集を編纂する。1221年に承久の乱を起こすが逆に隠岐に流される。 - 第八十三代天皇 土御門天皇
後鳥羽上皇の第一皇子で、承久の乱には反対して無罪だったが、父が流されたのを知って自分から申し出て土佐に流された。 - 第八十四代天皇 順徳天皇
後鳥羽天皇の第三皇子で和歌が熱心で歌集を作る。承久の乱に関与し佐渡に流された。
水無瀬神宮の御利益
水無瀬神宮の霊場
- 神仏霊場巡拝の道 62番(大阪21番)
水無瀬神宮の由緒と見所
○ 水無瀬神宮は後鳥羽上皇の離宮だった所で、鎌倉時代初期に起こった承久の乱で配流され亡くなった後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇の三人を祀っています。
承久の乱
○ 源頼朝により起こった鎌倉幕府ですが、3代将軍源実朝が暗殺され、この事件を知った後鳥羽上皇は1221年に、執権の北条義時を追討する命令を出します。北条義時を討ち取る事に成功はするのですが、わずか2ヶ月後、幕府は大多数の御家人を味方につけて大軍を率い、朝廷軍は破られました。そして後鳥羽上皇とその皇子である土御門天皇、順徳天皇らは配流されました。
○ そして1239年に後鳥羽上皇は隠岐にて崩御します。60歳でした。
後鳥羽上皇は亡くなる13日前に、寵臣だった水無瀬信成・親成親子に自分が愛した離宮を与え、自分を弔うように命じた遺言状を残しました。この遺言状は「後鳥羽天皇宸翰御手印置文」と呼ばれ国宝に指定されています。
水無瀬親子は御影堂を建てて後鳥羽上皇の冥福を祈りました。仏式で祀られ、のちに水無瀬宮の神号が賜りました。
後鳥羽上皇の死と御霊信仰
○ 1237年に後鳥羽上皇の残した置文つまり遺言状には、
「万一にもこの世の妄念にひかれて魔縁(魔物)となることがあれば、この世に災いをなすだろう。我が子孫が世を取ることがあれば、それは全て我が力によるものである。もし我が子孫が世を取ることあれば、我が菩提を弔うように」
と書かれていました。
後鳥羽上皇の怨霊を恐れた朝廷や幕府によって積極的に保護されます。
大阪で唯一の神宮
○ 明治に入り神社に改めれ、更に1939年には官幣大社となり「水無瀬神宮」と改称しました。大阪で唯一の神宮です。
後鳥羽上皇と新古今和歌集
○ 後鳥羽天皇は多才で、多芸多能、文武両道にすぐれた才能を発揮されました。特に和歌を愛され、中世屈指の歌人であります。藤原定家らに命じて勅撰和歌集「新古今和歌集」を編纂しました。
新古今和歌集は、万葉集と古今和歌集と並び三大和歌集と言われています。
離宮の水
○ 水無瀬神宮には、淀川の支流、天王山を源とする水無瀬川の伏流水で、「日本名水100選」に選ばれた「離宮の水」と呼ばれる名水があり、千利休も好んで使ったと言われます。
水は井戸から汲み上げられ、一般に開放されています。
(「離宮の水」取水時間 6:00~17:00 1人20ℓまで)
風鈴とライトアップ 〜 招福の風 〜 2022年も開催!😊
○ 風鈴は夏の風物詩で、風鈴の音はお祓いで使われていました。水無瀬神宮では「招福の風」と呼ぶイベントが行われます。700個の風鈴が吊られ、涼を楽しめます。また短冊に願いを書いて風鈴に吊るすことが出来ます。
境内のライトアップが行われ、幻想的な美しい光景が見れます。
※2022年は、7/1(金)~9/9(金)までです。
※2022年のライトアップについて、公式サイトに記載はありません。
文化財特別拝観『風と光と文化財の融合展』
令和4年度開催(ライトアップ):7月30・31日 及び 8月中の土日祝
18:30~21:00
入場料 500円/1人
境内の様子
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水無瀬神宮の御朱印
(順に、神仏霊場巡拝の道)
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水無瀬神宮の拝観時間
拝観時間:9:00〜17:00
受 付 :9:00〜16:00
水無瀬神宮の拝観料
無料
水無瀬神宮への行き方(アクセス・地図)
電車
- JR「島本駅」から徒歩15分
- 阪急「水無瀬駅」から徒歩12分
自動車
- 名神高速道路「大山崎IC」から5分
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